2015.03.01 (Sun)
親は外に雨降るあの夜
カエターノ・ヴェローゾの"Desde que o Samba é Samba / デスヂ・キ・オ・サンバ・エ・サンバ"
なんというかもう"教養として知っとけ"レベルの曲になっていて、この曲を訳した人も非常に多くいると思うんですが、いま僕が訳してみたらどうなるかなとふと思いまして。
カエターノ以外にも、ジョアン・ジルベルト、ガル・コスタ、ベッチ・カルバーリョなど、様々な音楽家たちがそれぞれのやり方で歌っています。
一度タイトルをYoutubeで検索してみてください。
ここでは、フェルナンダ・ポルトがダニエラ・メルクリと歌った映像にリンクをはります。
では、本題。
----------------------------
A tristeza é senhora
Desde que o samba é samba é assim
悲しみが支配者
サンバがサンバである限り、そうなんだ
A lágrima clara sobre a pele escura
A noite, a chuva que cai lá fora
黒い肌に涙が白く光る
あの夜、外は雨
Solidão apavora
Tudo demorando em ser tão ruim
こころ掻き乱す孤独
何もがじわじわと蝕まれていく
Mas alguma coisa acontece
No quando agora em mim
Cantando eu mando a tristeza embora
だけど何かが起こった
今この時、私の中で
悲しみは歌で追い出してしまおう
A tristeza é senhora
Desde que o samba é samba é assim
悲しみが支配者
サンバがサンバである限り、そうなんだ
A lágrima clara sobre a pele escura
A noite, a chuva que cai lá fora
黒い肌に涙が白く光る
あの夜、外は雨
Solidão apavora
Tudo demorando em ser tão ruim
こころ掻き乱す孤独
何もがじわじわと蝕まれていく
Mas alguma coisa acontece
No quando agora em mim
Cantando eu mando a tristeza embora
だけど今、私の中で何かが起こった
悲しみは歌って追い出してしまおう
O samba ainda vai nascer
O samba ainda não chegou
O samba não vai morrer
Veja o dia ainda não raiou
サンバはこれからも産まれてくる
サンバはまだ足りていない
サンバはこれからも死なない
ほら、まだ夜明けさえ来ていない
O samba é o pai do prazer
O samba é o filho da dor
O grande poder transformador
サンバは喜びの親
サンバは痛みの子
偉大な変える力なんだ
----------------------------
訳注
悲しみが支配者
tristeza/トリステーザが悲しみ
Senhora/セニョーラはSenhor/セニョールの女性形。敬うべき女性、農園主の妻、女主人、そんな意味になります。
英語で言うところのミセスなんですが、セニョール/セニョーラはしばしば支配と被支配の構図を内包することがあります。
ポルトガル語の名詞には固有の性別がありまして、トリステーザが女性名詞であるため、セニョーラの方が使われています。
ただ、日本語の「女主人」には余計なイメージがくっついて来そうな気がしたため、訳語を「支配者」としています。
ブラジル人にとってはこの名詞の性に伴う変化は当たり前すぎるので、ことさらに「女の主人」とはイメージしないような気がしたんですよね。
A lágrima clara sobre a pele escura
(黒い肌に涙が白く光る)
この曲で一番美しいフレーズだと思っています。
"escura/エスクーラ" という形容詞は「黒い」と言う意味にもなりますが、そもそもは"暗い"と言う意味です。
色彩としての"黒"と、光の観点から見た"暗い"、これを一言でさらっと表せてしまうのですね。
日本語で「暗い肌」というと、くすんだ肌を連想させてしまうので、どうしても黒い肌と言わざるを得ないのですが、本来は
clara = 明るい
と合わせて光の対比を描いています。
そして、ここで暗さを示すことで、次の"a noite = あの夜"へとスムーズにイメージを導いています。
A noite(あの夜)
Noite/ノイチ=夜
その前にある"A/ア" は定冠詞、即ち"The/ザ"です。
夜は人がそれまで生きた日々の数だけありますが、そこから特定の一つを示すので、「あの夜」としました。
どの夜なのかは明確にされていませんが、
「お前にもあるだろう涙を流したあの夜が」
って事なんだと思います。
A chuva que cai lá fora (外は雨)
正確を期すなら、
"外に降る雨" なんですが、
「お前にもあるだろうあの雨の日が」
って事なんだと思います。
O samba é o pai do prazer (サンバは喜びの親)
直訳は「サンバは喜びの父」なんですが、「悲しみが支配者」と同じ理由で「親」としています。
なお、Samba/サンバ は男性名詞です。
これぐらいかな。
冒頭で書いたように、この曲を歌った人は数多いのですが、僕が聴いたことあるのは、たぶんmippocoの歌うバージョンが一番多いと思います。少なくとも脳内再生はそのバージョン。
まぁ、ふと思ったよね。
先日は大人のサンバハウスご来場ありがとうございました。
写真を撮った訳ではないので写真はありませんが、代わりに一筆御礼申し上げます。
ぺこ。
なんというかもう"教養として知っとけ"レベルの曲になっていて、この曲を訳した人も非常に多くいると思うんですが、いま僕が訳してみたらどうなるかなとふと思いまして。
カエターノ以外にも、ジョアン・ジルベルト、ガル・コスタ、ベッチ・カルバーリョなど、様々な音楽家たちがそれぞれのやり方で歌っています。
一度タイトルをYoutubeで検索してみてください。
ここでは、フェルナンダ・ポルトがダニエラ・メルクリと歌った映像にリンクをはります。
では、本題。
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A tristeza é senhora
Desde que o samba é samba é assim
悲しみが支配者
サンバがサンバである限り、そうなんだ
A lágrima clara sobre a pele escura
A noite, a chuva que cai lá fora
黒い肌に涙が白く光る
あの夜、外は雨
Solidão apavora
Tudo demorando em ser tão ruim
こころ掻き乱す孤独
何もがじわじわと蝕まれていく
Mas alguma coisa acontece
No quando agora em mim
Cantando eu mando a tristeza embora
だけど何かが起こった
今この時、私の中で
悲しみは歌で追い出してしまおう
A tristeza é senhora
Desde que o samba é samba é assim
悲しみが支配者
サンバがサンバである限り、そうなんだ
A lágrima clara sobre a pele escura
A noite, a chuva que cai lá fora
黒い肌に涙が白く光る
あの夜、外は雨
Solidão apavora
Tudo demorando em ser tão ruim
こころ掻き乱す孤独
何もがじわじわと蝕まれていく
Mas alguma coisa acontece
No quando agora em mim
Cantando eu mando a tristeza embora
だけど今、私の中で何かが起こった
悲しみは歌って追い出してしまおう
O samba ainda vai nascer
O samba ainda não chegou
O samba não vai morrer
Veja o dia ainda não raiou
サンバはこれからも産まれてくる
サンバはまだ足りていない
サンバはこれからも死なない
ほら、まだ夜明けさえ来ていない
O samba é o pai do prazer
O samba é o filho da dor
O grande poder transformador
サンバは喜びの親
サンバは痛みの子
偉大な変える力なんだ
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訳注
悲しみが支配者
tristeza/トリステーザが悲しみ
Senhora/セニョーラはSenhor/セニョールの女性形。敬うべき女性、農園主の妻、女主人、そんな意味になります。
英語で言うところのミセスなんですが、セニョール/セニョーラはしばしば支配と被支配の構図を内包することがあります。
ポルトガル語の名詞には固有の性別がありまして、トリステーザが女性名詞であるため、セニョーラの方が使われています。
ただ、日本語の「女主人」には余計なイメージがくっついて来そうな気がしたため、訳語を「支配者」としています。
ブラジル人にとってはこの名詞の性に伴う変化は当たり前すぎるので、ことさらに「女の主人」とはイメージしないような気がしたんですよね。
A lágrima clara sobre a pele escura
(黒い肌に涙が白く光る)
この曲で一番美しいフレーズだと思っています。
"escura/エスクーラ" という形容詞は「黒い」と言う意味にもなりますが、そもそもは"暗い"と言う意味です。
色彩としての"黒"と、光の観点から見た"暗い"、これを一言でさらっと表せてしまうのですね。
日本語で「暗い肌」というと、くすんだ肌を連想させてしまうので、どうしても黒い肌と言わざるを得ないのですが、本来は
clara = 明るい
と合わせて光の対比を描いています。
そして、ここで暗さを示すことで、次の"a noite = あの夜"へとスムーズにイメージを導いています。
A noite(あの夜)
Noite/ノイチ=夜
その前にある"A/ア" は定冠詞、即ち"The/ザ"です。
夜は人がそれまで生きた日々の数だけありますが、そこから特定の一つを示すので、「あの夜」としました。
どの夜なのかは明確にされていませんが、
「お前にもあるだろう涙を流したあの夜が」
って事なんだと思います。
A chuva que cai lá fora (外は雨)
正確を期すなら、
"外に降る雨" なんですが、
「お前にもあるだろうあの雨の日が」
って事なんだと思います。
O samba é o pai do prazer (サンバは喜びの親)
直訳は「サンバは喜びの父」なんですが、「悲しみが支配者」と同じ理由で「親」としています。
なお、Samba/サンバ は男性名詞です。
これぐらいかな。
冒頭で書いたように、この曲を歌った人は数多いのですが、僕が聴いたことあるのは、たぶんmippocoの歌うバージョンが一番多いと思います。少なくとも脳内再生はそのバージョン。
まぁ、ふと思ったよね。
先日は大人のサンバハウスご来場ありがとうございました。
写真を撮った訳ではないので写真はありませんが、代わりに一筆御礼申し上げます。
ぺこ。
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