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2016.01.24 (Sun)

オルフェは再び

去年の今頃、オルフェは蘇る」っていうのを書きました。

1998年のヴィラドウロのテーマ曲を訳しましたが、今回はそれに密接に関わるブラジル映画「オルフェ」のメインテーマ。

O Enredo de Orfeu / オ・エンヘード・ヂ・オルフェ

Orfeuは、"オルフェウ(フェにアクセント)" 。しかし、僕らが産まれてくるずっとずっと前にはもう「黒いオルフェ」として訳が振られちゃってたんで、仕方がありません。

この曲が日本に紹介された2000年当時のセンセーションたるや!

その年の学祭では、どの大学のラテン音楽サークルもこれを演奏してましたし、浅草サンバでこの曲の形式を真似たエスコーラもありました。

当時、僕は自分の感じたセンセーションを上手く言葉にする事ができずにいましたが、インターネット・カルチャーの台頭でちょうどいい言葉を発見。すなわち


ファッ!?


そんなセンセーションが1分18秒から。
そこまでじっくり聴いてください。



今回は訳注がとっても長いのでアーティストには軽く触れるだけにします。

曲はカエターノ・ヴェローゾ / Caetano Veloso.

歌はトニ・ガヒード / Toni Garrido とガブリエル・オ・ペンサドール / Gabriel o Pensador.

トニ・ガヒードは映画の主役 (オルフェウ) も務めています。

この三人の中ではガブリエルが一番好き。

では、本題!

----------------------

Nosso carnaval
É filho dos rituais das bacantes
Do coro das tragédias gregas
Das religiões afro-negras
Das procissões portuguesas católicas

俺たちのカルナバルが産まれた
バッカスの祀りから
古代ギリシャのコロスから
アフリカ渡来の宗教から
ポルトガルのカトリック行列から

E não tem rival
"Manhã, tão bonita manhã"
Quando o rancho acabou de passar
E deixou no ar
Um aceno ao passado e ao amanhã

ライバルなんていない
"朝、かくも美しき朝よ"
通り過ぎるハンショはまるで
昨日と明日へ手を振るようで

"Ô abre alas"
Ainda somos do Rosa de Ouro
O carnaval da cidade é o tesouro
Que nunca ninguém nos pode roubar
(não rouba não)

"さぁどいとくれ"
いまでも俺たちは黄金のバラ
街のカルナバルは絶対ぬすまれない財宝
(盗むんじゃないぜ)

Pois no Estácio
Famoso reduto de gente bamba
Nasceu a primeira escola de samba
Que é rancho, é sociedade é cordão

一方、エスターシオ
イカしたやつらの溜まり場で
産まれたエスコーラ・ヂ・サンバは
ハンショで、ソシエダーヂで、コルダォンなんだ

Quando Hilário saiu
Lá da Pedra do Sal
Rei de ouros surgiu
É carnaval

イラーリォが出たぞ
ペドラ・ヂ・サウから出た
そして立ち上がる黄金の王
そうさ、カルナバル

Quando Hilário saiu
Lá da Pedra do Sal
Rei de ouros surgiu
É carnaval

イラーリォが出たぞ
ペドラ・ヂ・サウから出た
そして立ち上がる黄金の王
そうさ、カルナバル

Nosso carnaval vai ferver!
Vai fazer o morro descer!
Vai fazer o asfalto tremer!
Pra ficar legal tem que ter o quê?

さあ沸き立つぞカルナバル!
丘まるごとで降り立つぞ!
アスファルトを震わすぞ!
キメてやるのに何が要る!?

Tem que ter bateria! (Demorou!)
Tem que ter harmonia! (Demorou!)
Tem que ter fantasia! (Demorou!)
Tem que ter alegria! (Demorou!)

バテリアがなけりゃな!(待ってたぞ!)
アルモニアがなけりゃな!(待ってたぞ!)
ファンタジアがなけりゃな!(待ってたぞ!)
アレグリアがなけりゃな!(待ってたぞ!)

Dança, pula, canta, fala
Tira da garganta aquele grito que entala
E vamos nós! (Abre ala!)
A nossa voz! (Ninguém cala!)

舞え、跳べ、歌え、語れ
喉に絡まる叫びを吐き出せ
そしたら行くぞ!(道を開けろ!)
俺らの声で!(誰も黙るな!)

Fazendo o enredo sem medo
No peito e na mente
Andando pra frente
O carnaval é da gente (É do povo!)
O carnaval é do velho (É do novo!)

恐れず綴る
胸にアタマに物語
前に行くんだカルナバルは
俺たちの!(みんなの!)
年寄りの!(若者の!)

Eu sou Unido da Carioca da gema do ovo
Desafiando o mal
Pulando esse muro e iluminando o escuro
E o futuro do nosso
Carnaval!

俺はタマゴの黄身からカリオカ連合
悪いヤカラに立ち向かう
こんな壁ならひと跳びに
照らすさ闇と
俺らの未来の
カルナバル!

----------------------
訳注


bacante
バカンチ

バカチンでない。

ローマ神話に出てくるお酒の神様にバッカスと言うのがいますけど、そのお祭りの司祭のことです。

司祭っていうと、なんか壇上にたってなにかもごもご言ってるお爺ちゃんを想像しますが、バッカスの司祭ってどうなんですかね。

ちなみにバッカス。



ファンキーだなおい。

これの司祭か。
これの祝祭か。

バッカスは酒の神
カーニバルは謝肉祭

酒池肉林だよカルナバル。


coro das tragédias gregas
直訳すると、"ギリシア悲劇の合唱"
当てた訳語は"古代ギリシャのコロスから"

コロスについて、日本語のウィキペディアに該当する項目がありました。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/コロス

登場人物の心の内面を歌にして描いていたそうです。

ウィキペディアにはこんな事も書いてありました。

古代ギリシアの円形劇場はとても大きかったので、遠くの観客にもわかるよう動きは誇張され、また発声もはっきり聞き取れるようにした。



あ、コロシアムってコロスから来てるのかな。

技術的には、シンクロニゼーション(同期性)、エコー、波紋、身体表現を駆使し、仮面をつけていた。



「波紋を駆使し」と「仮面」が多少気になりますが、前に進みましょう。

英語版のウィキにはこんな画像が掲載されてました。



"竹馬に乗り、歩き、合唱する者の描かれた壺 (Storage Jar with a Chorus of Stilt Walkers)"

"付け髭と思われる髭をつけた五人の男が竹馬にのり、とんがり帽子と羽や革や金属でできたコースレットを身につけて歌っている" 様子が描かれています。
(出典)
http://blogs.getty.edu/iris/stilt-walking-actors-extend-their-stay-at-the-getty-villa/

目立つ格好、人目をひく仕掛け、歌。
カルナバルにつながってきたかな。

竹馬についてもちょっと調べてみました。
日本では江戸時代のころから流行りだした遊びなんだそうですが、西洋竹馬(
スティルツ)のルーツについては、このギリシア古代劇まで遡るんだそうです。

この壺に書いてあるのは、日本の竹馬と同じ形ですが、西洋竹馬っていったら、こういうのもありますよね。



「ナニコレ面白い」で街を満たすカーニバルと西洋竹馬の相性は良く、こんなサイトもありました。

"カーニバル専門竹馬乗りと竹馬パフォーマンス"

ですって。

religiões afro-negras
ヘリジオンイス
アフロ・ネーグラス

ヘリジオンイスは宗教。複数形。
単数形はヘリジアォン / religião。

アフロ・ネーグラスは"アフリカ系黒人の"って形容詞です。修飾する名詞が複数形なので形容詞も複数形になってます。

アフロ・ブラジル文化については、昨年書いた「ズンビーありがとう」にも少しだけ書いてありますので、どうぞ。


procissões portuguesas católicas

プロシソインス = 行列(複数形)
ポルトゲーザス = ポルトガルの
カトーリカス = カトリックの

ポルトガルのカトリック行列(複数形)

プロシソインスの単数形はプロシッサオン / Procissão

行列って何だろうと思ったら、カトリックには聖母行列、聖体行列などの行列があるんですって。

こちらはポルトガル、ファーティマの聖母行列。



これはアルゼンチン、サルタの行列



すごいな!


Manhã, tão bonita manhã
マニャー、タォン ボニータ マニャー。

ボサノヴァ、Manhã de Carnaval / マニャー・ヂ・カルナバル (カーニバルの朝)、ルイス・ボンファ作曲の"元祖"「黒いオルフェ」(1959)の主題歌からの引用です。



黒いオルフェ、よくわからなかったけどなんだか面白かった覚えがあります。

この映画のヒットで、リオのカーニバルが世界的に有名になったそうですよ。

"Ô abre alas"
これかな



https://pt.m.wikipedia.org/wiki/Ó_Abre_Alas

作曲はシキーニャ・ゴンザーガ / Ciquinha Gonzaga。
ルイス・ゴンザーガとは関係なさそうです。

このサイトに、
http://www.velhosamigos.com.br/HoraMusica/musica16.html

Ô abre alasを作られたときのエピソードが載ってました。

曰わく、1899年のカーニバルが近づく中、コルダォン(後述。エスコーラ・ヂ・サンバ以前のカーニバル団体の一つ)が歌やダンスを練習していたのですが、それがシキーニャの家の前でした。

耳慣れないリズムと、黒人の魔法のような動きを家から見ていたシキーニャは、日曜の午後にその団体の責任者を訪ねて行きました。

そこには山高帽をかぶり、襟の高いシャツに黒いジャケットを着た屈強な数名の黒人が立って待っていたそうです。

シキーニャに会うと、彼らは彼女に丁寧に頼みました。

自分たちのために、曲を作ってほしい、と。

そのコルダォンの名前はRosa de Ouro / ホーザ・ヂ・オウロ(黄金のバラ)。
そして書かれたのが、この "Ô abre alas" です。

この曲が、リオのカーニバル史上はじめて、カーニバルの為に書き下ろされたマルシャとなりました。

その後、カーニバルの為のマルシャは数多く書かれました。

そしていくつもの曲が今でも、エスコーラだブロコだといった団体に関係なく、カーニバルのそのものを象徴する音楽として歌い継がれています。


Rosa de Ouro
ホーザ・ヂ・オウロ。
黄金のバラ

先ほど書いた通り、マルシャ "Ô abre alas" を作ってもらったコルダォン。この団体自体については、残念ながら電子化された資料があまりないみたいです。

ところで、このRosa de Ouroを僕は1965年、リオのTeatro Jovem / チアトロ・ジョーベン (青年劇場) を皮切りに行われた伝説のライブアクトの事だと思ってました。

それで、シキーニャのくだりより先にこの項目を書いてしまったので、そのまま残します。

これはエスコーラ・ヂ・サンバがカーニバルに出るようになってから30年ほど後のこと。

前年の1964年はブラジリア遷都に東京オリンピック、1965年、加山雄三氏が「君といつまでも」を歌っていたころ、ブラジルではこんなことが起こってたんですね。

カルトーラと、その奥さんのドナ・ジッカの二人で経営していた、その名もジカルトーラ / ZiCartolaという食堂がありました。

そこで夜な夜な有名無名な音楽家たちが演奏をしていたのですが、その才能を集めて世に出そうと考えた人が居たんです。

その人、名前をHermínio Bello de Carvalho / エルミーニォ・ベロ・ヂ・カルバーリョ。

彼が企画したライブアクト「黄金のバラ」で紹介されたサンバの才能は例えば

クレメンチーナ・ヂ・ジェズス(64)
ジャイール・ド・カヴァキーニョ(43)
ネルソン・サルジェント(41)
パウリーニョ・ダ・ヴィオラ(21)

カッコの中は当時の年齢です。

この一連のライブアクトによって歌われた曲はカルトーラやパウロ・ダ・ポルテーラたち、丘に住むベテランサンビスタの曲で、ホーザ・ヂ・オウロではじめて丘の上の詩人たちが姿、様々な階層の人たちが初めて見たのだそうです。


このライブは録音されて、LP盤として発売されました。そして今ではamazonで取り扱いがありません

え、ないの!?
ここまで引っ張ったのに!?

Clube da Esquinaみたいにmp3でもいいから再々初してくれないかなー。

ちなみに、上のアマゾンのページにあるCDの紹介は簡潔でとてもわかりやすかったです。訳注書く前に読めばよかった。

参考

http://www.luizamerico.com.br/fundamentais-rosa-de-ouro.php

https://samba.catracalivre.com.br/rio/samba-rj/barato/rosa-de-ouro-50-anos-celebra-o-lendario-espetaculo-no-sesc-ginastico/

http://odia.ig.com.br/diversao/2015-05-13/pioneiro-show-rosa-de-ouro-e-revisitado-no-sesc.html

http://www.paulinhodaviola.com.br/portugues/em_cena/show.asp?cod=1








まだまだ訳注つづくよーい。

いまのうちにトイレいったり、コーヒー飲んだり、電車乗り換えたり、シャワー浴びたりするといいと思うよ。









はい、再開します。

Estácio
エスターシオ。

リオの東側にある地区の名前です。
この地区に、"リオのカーニバル"の初期の会場となった、プラッサオンゼがありました。

発音的には "プラッサオンジ" の方が近いんですが、僕が生まれた頃には青山にプラッサ・オンゼがあったので、先駆者リスペクトです。

こんな公園だったみたいです。思ったより都会的な公園だった。





それで、この公園のフルネームは、プラッサ・オンジ・ヂ・ジューニョ / Praça 11 de Junho = 6月11日公園だと言うことをさっき知りました。今まで11番公園だと思ってた。


勉強になるなこのブログ!


それで、奴隷制の廃止後、この公園に続く道沿いに元奴隷たちが住み着き、道沿いがいっぱいになったら丘の上へ上へ、空いたスペースのある所に住み着き、といった具合に、プラッサオンゼを中心として黒人とその文化が混ざり、広がっていった、と。

一説には、バイーアから来た黒人のバトゥカーダと、リオに居た黒人のルンドゥーがまざってサンバになったと言われています。

東側にはこれも後述のペドラ・ド・サウがあり、チア(Tia、叔母さんって意味です)たちの所に気心のしれた仲間たちが集まって、話をしたり、音楽をしたり、踊ったり、遊んだり、祈ったりしてました。

プラッサオンゼは広い公園なので、大人数が集まるような機会にはうってつけだったのですね。例えばバトゥカーダとか。

そして、すぐ後の歌詞にもあるとおり、最初のエスコーラ・ヂ・サンバ、デイシャ・ファラー / Deixa Falarがエスターシオに誕生します。

https://pt.m.wikipedia.org/wiki/Estácio_(bairro)

https://pt.m.wikipedia.org/wiki/Praça_Onze

https://pt.m.wikipedia.org/wiki/Deixa_Falar



Rancho, sociedade e cordão
ハンショ
ソシエダーヂ
コルダォン

ハンショについてはすでに二度ほどこのブログで触れたかと思います。

"カーニバル前夜"と、

サンバのパビリオン 後編ね。

ハンショ、ソシエダーヂ、コルダォン、いずれも19世紀末から20世紀初めにかけて流行ったカーニバル集団。


まずはコルダォンから。
・人がたくさん
・魔法使いの老人、ピエロ、インディオ、バイアーナ、悪魔、王、女王などの仮装でゾロゾロわいわいする
・道いっぱいにゾロゾロわいわいしている様子が綱に見えたからコルダォンという説がある
・音楽は打楽器中心
・1890年代に発生
・笛で楽隊に指示を出す人がいた
・1910年頃までは、カーニバルで騒ぐ集団を一般的にコルダォンやブロコと呼んでいたが後にジャンル分けされた。
・コルダォンは「最も統制の取れてないカーニバル集団」にクラス分けされたらしい
・暴力と結びつき、警察に登録を認められない団体が増え、ハンショに転身したりエスコーラ・ヂ・サンバになったりして1910年ごろから下火に
・サンパウロのエスコーラ・ヂ・サンバ、Vai-Vai / ヴァイヴァイ はもともとコルダォンだった


次はソシエダーヂ

・グランヂ・ソシエダーヂ、とか、ソシエダーヂ・カルナバレスカ、とか呼ばれる
・当時は中に香水の入ったロウの球だの、なんかよくわからない液体だの、ファリーニャ (マンジョッカ芋の粉) だのを投げ合う「エントルード」がカーニバルで大人気の遊び。
・それに参加したくないエリート層がイタリアやフランスを真似て、仮面舞踏会とかを企画
・煌びやかな輸入物の仮装をするエリート
・オープンカー(馬車)に乗車してサロンへ
・音楽は当時はやりのマルシャ
・その道行きに興味津々なリオの人々
・流行の最先端をいく仮装に大興奮のリオの人々
・慣れ親しんだやり方で興奮を表現するリオの人々
・すなわちエリートめがけて一斉に飛び交うロウ球、液体、粉
・これではたまらないと組織化するエリート層
・オープン馬車が何台もつらなり、行列に
・結局、行列そのものがイベント化
・オープン馬車はアレゴリア化
・1850年代に誕生、50年以上カーニバルの花形だったが、ハンショやエスコーラ・ヂ・サンバに人を取られて1930年代から徐々に下火に



最後にハンショ

・弦楽器と管楽器中心の演奏。そうでないのはガンザと皿ぐらい
エスタンダルチ、ポルタ・エスタンダルチとメストリ・サラ
・カミソリでひそかに武装するメストリ・サラ
・中流階級の団体に分類される
・王と王女がいて、「宮廷」とも表現される。
・Fernandesの文献によれば、1/6、三賢人の日にバイーアで行われるカトリックの行列(Folia de Reis / フォリア・ヂ・ヘイス)がハンショのルーツ
・いつがハンショの始まりか、とするのは諸説ある。19世紀初めからあるという人もいれば、1830年という人もいる。
・20世紀はじめのカーニバルの花形
・最初のコンテストは1909年
・エンヘード(パレードのテーマ)があった
・エスコーラ・ヂ・サンバの台頭で1940年代から下火に


そして、これらの流れを汲むエスコーラ・ヂ・サンバは、ハンショでもあり、ソシエダーヂでもあり、コルダォンでもある、と歌っています。



Hilário
この人かな。

イラーリォ・ジョヴィーノ・フェヘイラ /
Hilário Jovino Ferreira

ペルナンブーコ生まれ、サルバドール育ち、大人になってリオに移住してきたのが1872年(22歳)。
後述のペドラ・ド・サウまで歩いて5分のサウーヂ地区、モーホ・ダ・コンセイサォンに住んでいたんですが、とある年の1月6日、三賢人の日に"Dois de Ouros (黄金色の二人)"というハンショが出ているのを見て、そこに参加したそうです。

そのあとすぐ、自らハンショを設立。
その名を" Rei de Ouros (黄金の王)"、リオで初めてカーニバルに出たハンショでした。

その後、数々のハンショを設立。

それらの名前を列挙で "Rosa Branca", "Botão de Rosa", "As Jardineiras", "Filhas da Jardineira", "Ameno Resedá", "Reino das Magnólias", "Riso Leal"

その名前の訳を列挙で
"白バラ" 、"花釦" 、"庭師"、"庭師の娘"、"穏やかなりモクセイ草"、"マグノリア王朝"、"誠の微笑"

あと、ブロコも作ったそうです。”壁に耳あり” とか、”猿は他”とか。

なんだかやけに団体をつくる人ですね。
テツヤなんでしょうか。
それともヤスシなんでしょうか。

閑話休題。

今のエスコーラに、パレード全体の監督をする"カルナバレスコ"という役職があるんですが、それに近いことをやっていたそうです。
ハンショの中に、ポルタ・バンデイラとメストリ・サラという様式を確立させたのもこの人。

1850年生まれなので、エスコーラ・ヂ・サンバの生まれた1920年代の終わりには、80歳近いおじいさんですね。

ソシエダーヂやコルダォンの時代を経て、サンバの誕生に携わった世代の人で、かつ、録音された最も古いサンバであるPelo Telefone / ペロ・テレフォーニ(1917)の共作者としてもクレジッドされています。

後述する、Tia Ciata / チア・シアタ (シアタおばさん) のところにも足しげく通っていたそうです。

https://pt.m.wikipedia.org/wiki/Hilário_Jovino_Ferreira


http://www.onordeste.com/onordeste/enciclopediaNordeste/index.php?titulo=Hilário+Jovino+Ferreira<r=h&id_perso=912



Pedra de Sal
リオ市内の地名。

ここには、かつてキロンボ(逃亡奴隷が作ったコミュニティー)があったそうです。

港が近いので、バイーアから流れてきた黒人たちは船の積み荷を下ろす仕事を求めて、このあたりに住み着きました。それが17世紀はじめのこと。

そして、この地区を中心としてアフロ・ブラジル文化が熟成されていきます。

そういう場所たくさんあるんだな、ブラジル。


アフロ・ブラジルの宗教にカンドンブレと言うのがあるんですが、そのリーダーがペドラ・ド・サウに来たことで、バイーアからの人がここに集中したそうです。

なかでも、ジョアン・アラバー / João Alabá のテヘイロ(カンドンブレの祭事を行うところ)は、チア・シアタ、チア・ビビアーナら、バイアーナのチアたちが出会った場所として特筆されています。

彼女らはカンドンブレの司祭であり、地域の中心人物として活躍していました。中でも、チア・シアタ の所に集まった人たちで"最初の"サンバであるペロ・テレフォーニが作曲されました。

https://pt.m.wikipedia.org/wiki/Pedra_do_Sal

リオのカーニバルのパレードには、バイーアの伝統的な服装をまとった女性のパード「バイアーナ」がかならず含まれます。
昔、サンバはリオなのになんでバイーアなんだろうと思ってましたが、それはこういった経緯なんですのね。

Rei de Ouros
黄金の王。
先述のとおり、イラーリォの作った最初のハンショ、かつ、リオで最初にカーニバルに参加したハンショです。





さー、もうちょっとだよ。






harmonia
アルモニア。

アンモニアでない。

いや、なんの事はない、綴りからも予想できる通り「調和」って意味です。

ですが、カーニバルのサンバパレードには出場者が全員ちゃんと歌を歌っているか、受け持ったスペースから逸脱していないか、などを監督する、ヂレトール・ヂ・アルモニア / Diretor de Harmonia と言う役職があります。

調和ディレクター。

もしかしたら、歌詞中のHarmoniaと言うのは彼らの事も含んでいるかも、と言うことで「アルモニアがなけりゃな」としました。

参考
https://m.facebook.com/HarmoniaUniaoDaIlhaDoGovernador/posts/398247190216923


Fantasia
ファンタジア

カーニバルで着る衣装の事を、ファンタジアと言います。自分じゃない何かになるための着物、仮装のことですね。

なので、バンドがライブで着る衣装なんかはファンタジアと言いません。

たとえばAKBの衣装はギリギリでファンタジアでありません。

ももクロのはたぶんファンタジアです。

きゃりー氏はファンタジアです。

幸子氏のあれはもうファンタジアではありません。宮殿です。幸子を戴くパビリオンです。

音の響き通り、Fantasiaはファンタジーを意味する言葉で、仮装と幻想、どっちも指していると思ったため、"ファンタジア" という訳語を当てました。

アレグリア
Alegria

いや、そのまま「喜び」とすればいい話なんですが、前の三つと音を揃えたいがために、カタカナ当てしちゃいました。すいません。

日本語で音が揃ういい単語が浮かばんかった。

Demorou
デモロウ。

昨年書いた「ハッピーだマンゲイラ」の訳注に解説がありますのでそちらを参照して下さい。

これで最後

俺はタマゴの黄身までカリオカ連合
Eu sou Unido da Carioca da gema do ovo

Eu sou = I am = 俺は

これはいいとして。

Carioca = カリオカ。リオっ子。江戸っ子みたいなもん。
Gema = ジェマ。堅い殻に守られた価値あるもの。宝石。
Ovo = オーヴォ。たまご。

という単語がありまして、

Unido da Carioca = カリオカ連合(劇中の固有名詞)

Carioca da gema = 生粋のカリオカ。僕の心のやらかい場所からカリオカ。ちゃきちゃきの江戸っ子みたいなもん。

gema do ovo = 卵の黄身

この三つの語(ひとつ名詞だけど)をつないだのが

Unido da Carioca da gema do ovo

タマゴの黄身からカリオカ連合

となります。

ポルトガル語は、de/do/daやem/no/naなどの前置詞を使って単語の属性を続々と追加していく事ができるので、こういった遊び方が可能なんですね。



お疲れ様でした!



「オルフェはよみがえる」でも書きましたが、この曲が主題歌となった映画は、98年のヴィラドウロのパレードを実際の映画の撮影に使用しています。

この前年、97年はそのヴィラドウロがバチーダ・ファンキをひっさげて初優勝をかっさらっています。

しかし、90年代からカーニバルサンバで流行りだしたテンポの高速化や、重心が前によったスタイルに対して、意外にもこの曲は比較的テンポが遅く、重心も真ん中に寄せてゆったりとしたうねりを出しています。

タンボリンが派手に跳ね回る事もなく、キメ(リズムが大きく変化する、バテリアの見せ所)もせいぜいシンプルな波キメしかありません。

なんというか、クラシカルなんです。

クラシカルなスタイルにのせてカーニバルの歴史をじっくり歌い上げる前半部。
次にやってくるバカ渋の波キメ、オーソドックスにブレイクで終わる波キメそして


ウー!!


から始まる最新鋭のバチーダ・ファンキさらにラップ。

もう興奮のままにロウ球だのファリーニャだのブン投げたくなります。

なーにが "ウー!!"だ、こんにゃろう!(褒めてる)

--------------------------------

その他参考
いつものようにwikipedia

あと、wikiが参考文献にあげてた、
Nelson da Nobrega Fernandes, Escola de Samba -Sujeitos Celebrantes e Objetos Celebrados-の、31ページあたり。
これはネットにPDFで公開されてます。僕は5ページぐらいしか読んでないけどお勧め。
http://www.rio.rj.gov.br/dlstatic/10112/4204430/4101441/samba.pdf

読みたいものが増えてきた。こうやって積ん読が溜まっていくのね。

なまくら史上最長の記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。


そろそろカーニバルですね。
サウジ・サウダージ、今年また出るから見に来てね。

それではご機嫌うるわしゅう。









ぺこ



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