2015.02.11 (Wed)
カーニバル前夜
前のエントリーで書いたマンゲイラと、今回取り上げるポルテーラ。そして、今は無きデイシャ・ファラー
「リオのカーニバル」を築いたこの三エスコーラは、尊敬を込めて"Majestade do Samba (マジェスターヂ・ド・サンバ)" と称されるのだそうです。
マジェスターヂは英語で言うところのMajestyなので、日本語にすると、サンバ陛下となるでしょうか。
真面目なプロセスを踏んで訳したはずなのになんだろうこの感じ。
ポルテーラ
始まりを知るエスコーラ・ヂ・サンバ。
さて、何を書きましょうか。
ポルテーラは名前がすっきりしてます。
ナントカカントカ・ダ・ポルテーラでもなく、ポルテーラ・ドス・ウンヌンカンヌンでもなく、
ポルテーラ(スパッ)
現在の本拠地はマドゥレイラ、およびオズワルド・クルス。
近年では優勝から遠ざかっているものの、(2017年優勝!!) 過去に21回優勝(歴代一位)の記録を持ちます。何よりもサンバという音楽の発展を語る上で外せません。
そんなポルテーラがカーニバルの歴史を縦糸に、懐かしさを横糸に編んだ1995年の曲、"Gosto que me enrosco (ゴスト・キ・ミ・エンホスコ)"でございます。
----------------------------
Abram alas, deixa a Portela passar
É voz que não se cala
É canto de alegria no ar
さあ退くんだアーラたち
ポルテーラを通すんだ
ポルテーラは止むことの無い声
辺りに響く喜びの歌
É carnaval
O Rio abre as portas pra folia
É tempo de sambar
Mostrar ao mundo a nossa alegria
カーニバル
リオがその扉を浮かれた人々に開け放す
サンバの時間だ
世界へ喜びを見せつける時間だ
Veio bailando pelo mar
E de lá pra cá nasceu essa magia
Samba, que me faz feliz
Em sua raiz tem arte e poesia
それは海を踊ってやって来た
あちらへこちらへと
踊り生まれたこの魔法
サンバが私を幸せにする
芸術と詩に根ざしたサンバが
Bate o bumbo, lá vem Zé Pereira
E faz Madureira de novo sonhar
A Portela não é brincadeira
Sacode a poeira, faz o povo delirar
ゼ・ペレイラが大きな太鼓を打ち鳴らし
マドゥレイラに再び夢を見させる
ポルテーラは遊びじゃないんだ
土煙をあげ、人々を陶酔させる
Gosto que me enrosco de você, amor
Me joga seu perfume, hoje eu tô que tô
君に取り巻かれるのが好きなんだ
君の香りを私に振りまいてほしい
今が最高に最高だよ
Praça Onze, berço das nossas fantasias
Deixa Falar deixou no peito a nostalgia
Dos ranchos, blocos e cordões
Dos mascarados nos salões
プラッサオンゼ、我々の空想の揺りかご
デイシャ・ファラーが俺の胸に残したんだ
ハンショ、ブロコやコルダォン、
それに仮面の男女への郷愁を
Pierrot beijando a Colombina
Chuva de confete e serpentina
Dos bondes ficou a saudade
Ah! Que saudade do luxo das Sociedades
ピエロがコロンビーヌに口づけすれば
色とりどりの紙吹雪とテープの雨
路面電車で彼女を恋しく思った
ああ、ソシエダーヂのきらびやかさよ
Abram alas, deixa a Portela passar
É voz que não se cala
É canto de alegria no ar
さあ退くんだアーラたち
ポルテーラを通すんだ
ポルテーラは止むことの無い声
辺りに響く喜びの歌
----------------------------
訳注
アーラたち
ここでは、エスコーラのテーマアーラというよりは、カーニバルに遊ぶ有象無象の人々を指しています。
ポルテーラを通すんだ
ポルテーラが始めた事というのは数々あるようですが、リオのカーニバル史上で初めて、「ロープを使ってポルテーラがパレードするところと、それ以外とに分けた」のもポルテーラだそうです。
ゼ・ペレイラ
必ずしも特定の個人の事ではなく、カーニバル期間中に太鼓を叩いて大騒ぎする人々の事をさすようで、ポルトガルはルシタニア地方の文化が19世紀のリオに輸入され、変化したものだそうです。
(2015.2.11追記)
A Portela não é brincadeira / ポルテーラは遊びじゃないんだ
カーニバルで浮かれ騒ぐことをBrincar no carnaval / カーニバルに遊ぶと表現します。Brincar / 遊ぶ の名詞形がbrincadeira(ブリンカデイラ)。
ポルテーラは、そういうただの浮かれ騒ぎとは違うんだぜ、って事なんだと想います。
Enrosco
読みは「エンホスコ」
ちなみにポルトガル語ではNとLの後のRは発音が変化します。
Enredo→エンヘード、とかね。
用法を見ていくと、Gosto que me enrosco de ~ っていう熟語があるみたいです。
もしかしたら、もっとうまい訳し方、あったかもしれません。
デイシャ・ファラー
冒頭に書いたように、今はもうないエスコーラ。一説には最初のエスコーラとも言われています。名前は「言わせておけ」と言う意味。
ポルテーラの前身はいくつかあり、名前が
"Quem Fala de Nos Come Mosca"(俺らの噂をするやつはハエを食う)
"Vai Como Pode(行けるだけ行け)"
などとあり。
こういう名前、流行ってたんでしょうかね。
1935年、カーニバル出演の許可を取りに行った警察署で、Vai Como Pode (ヴァイ・コモ・ポーヂ)のメンバーは警察署長のDulcídio Gonçalvesから、名前を変えないと許可を出さないといわれたため、そのまま長い議論に突入。
そして当の警察署長が本拠地のある通り、ポルテーラ通りの名をとることを提案して、今の名前となったのだそうです。
てっきり、ポルテーラがあるからポルテーラ通りなのかと思いましたよ。
ハンショ、ブロコ、コルダォン、ソシエダーヂ
スペルはRancho, Bloco, Cordão, Sociedade。
全てエスコーラ・ヂ・サンバ以前に活動していたカーニバル期間中の娯楽団体
前のエントリー「シェゴー」で書いたとおり、Ranchoはランチョでもハンチョでもありません。
このあたりの歴史についても、いつか調べてみようと思います。
2016.09.15追記。
調べました。こちらです。
仮面の男女
ベネツィアのカーニバルの事と思います。
また、イタリア繋がりでコメディア・デラルテに関係し、後述のピエロとコロンビーヌに繋がるのだとおもいます。
ピエロとコロンビーヌ
上述のコメディア・デラルテで演じられるストックキャラクター。コロンビーヌと記載したのは、からくりサーカスの影響です。
wikipediaによれば、劇中でピエロはコロンビーヌに恋をしますが、アルレッキーノ(ハーレクイン)との争いに敗れ、最終的には彼女をあきらめるのだそうです。
アルレッキーノが群集の真ん中でコロンビーヌを想って泣く歌があるので、それも今度取り上げようと想います。
(2015.2.11追記)
てか、これ、あれですね。
その歌の引用だ。
wikipedia - Pierrot -
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Pierrot
http://m.letras.mus.br/los-hermanos/181035/
カーニバル中の路面電車→ (画像検索)
この路面電車を見ると、黒いオルフェ(仏版)を思い出します。
あ、実はですね僕はリオのカーニバルを見に行ったことがありません。
なので、当日の空気感は想像するしかないのです。
この曲については、まだちょっと調べたりない気がしているので、少しずつ追記していくつもりでおります。
カーニバル前夜ですので、ちょっと駆け足で投稿。
明日、日付変わって今日ですが、J-Wave Saude! Saudade... Carnaval 2015が開催されます。
昨年の同じイベントで活動休止してからちょうど一年。
僕は久しぶりに、観客としての参戦!
たのしみですねー。
遊びに行かれる方、また明日!
あと、3/1の昼間もあけておいてくださいませ!
ぺこ。
「リオのカーニバル」を築いたこの三エスコーラは、尊敬を込めて"Majestade do Samba (マジェスターヂ・ド・サンバ)" と称されるのだそうです。
マジェスターヂは英語で言うところのMajestyなので、日本語にすると、サンバ陛下となるでしょうか。
真面目なプロセスを踏んで訳したはずなのになんだろうこの感じ。
ポルテーラ
始まりを知るエスコーラ・ヂ・サンバ。
さて、何を書きましょうか。
ポルテーラは名前がすっきりしてます。
ナントカカントカ・ダ・ポルテーラでもなく、ポルテーラ・ドス・ウンヌンカンヌンでもなく、
ポルテーラ(スパッ)
現在の本拠地はマドゥレイラ、およびオズワルド・クルス。
そんなポルテーラがカーニバルの歴史を縦糸に、懐かしさを横糸に編んだ1995年の曲、"Gosto que me enrosco (ゴスト・キ・ミ・エンホスコ)"でございます。
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Abram alas, deixa a Portela passar
É voz que não se cala
É canto de alegria no ar
さあ退くんだアーラたち
ポルテーラを通すんだ
ポルテーラは止むことの無い声
辺りに響く喜びの歌
É carnaval
O Rio abre as portas pra folia
É tempo de sambar
Mostrar ao mundo a nossa alegria
カーニバル
リオがその扉を浮かれた人々に開け放す
サンバの時間だ
世界へ喜びを見せつける時間だ
Veio bailando pelo mar
E de lá pra cá nasceu essa magia
Samba, que me faz feliz
Em sua raiz tem arte e poesia
それは海を踊ってやって来た
あちらへこちらへと
踊り生まれたこの魔法
サンバが私を幸せにする
芸術と詩に根ざしたサンバが
Bate o bumbo, lá vem Zé Pereira
E faz Madureira de novo sonhar
A Portela não é brincadeira
Sacode a poeira, faz o povo delirar
ゼ・ペレイラが大きな太鼓を打ち鳴らし
マドゥレイラに再び夢を見させる
ポルテーラは遊びじゃないんだ
土煙をあげ、人々を陶酔させる
Gosto que me enrosco de você, amor
Me joga seu perfume, hoje eu tô que tô
君に取り巻かれるのが好きなんだ
君の香りを私に振りまいてほしい
今が最高に最高だよ
Praça Onze, berço das nossas fantasias
Deixa Falar deixou no peito a nostalgia
Dos ranchos, blocos e cordões
Dos mascarados nos salões
プラッサオンゼ、我々の空想の揺りかご
デイシャ・ファラーが俺の胸に残したんだ
ハンショ、ブロコやコルダォン、
それに仮面の男女への郷愁を
Pierrot beijando a Colombina
Chuva de confete e serpentina
Dos bondes ficou a saudade
Ah! Que saudade do luxo das Sociedades
ピエロがコロンビーヌに口づけすれば
色とりどりの紙吹雪とテープの雨
路面電車で彼女を恋しく思った
ああ、ソシエダーヂのきらびやかさよ
Abram alas, deixa a Portela passar
É voz que não se cala
É canto de alegria no ar
さあ退くんだアーラたち
ポルテーラを通すんだ
ポルテーラは止むことの無い声
辺りに響く喜びの歌
----------------------------
訳注
アーラたち
ここでは、エスコーラのテーマアーラというよりは、カーニバルに遊ぶ有象無象の人々を指しています。
ポルテーラを通すんだ
ポルテーラが始めた事というのは数々あるようですが、リオのカーニバル史上で初めて、「ロープを使ってポルテーラがパレードするところと、それ以外とに分けた」のもポルテーラだそうです。
ゼ・ペレイラ
必ずしも特定の個人の事ではなく、カーニバル期間中に太鼓を叩いて大騒ぎする人々の事をさすようで、ポルトガルはルシタニア地方の文化が19世紀のリオに輸入され、変化したものだそうです。
(2015.2.11追記)
A Portela não é brincadeira / ポルテーラは遊びじゃないんだ
カーニバルで浮かれ騒ぐことをBrincar no carnaval / カーニバルに遊ぶと表現します。Brincar / 遊ぶ の名詞形がbrincadeira(ブリンカデイラ)。
ポルテーラは、そういうただの浮かれ騒ぎとは違うんだぜ、って事なんだと想います。
Enrosco
読みは「エンホスコ」
ちなみにポルトガル語ではNとLの後のRは発音が変化します。
Enredo→エンヘード、とかね。
用法を見ていくと、Gosto que me enrosco de ~ っていう熟語があるみたいです。
もしかしたら、もっとうまい訳し方、あったかもしれません。
デイシャ・ファラー
冒頭に書いたように、今はもうないエスコーラ。一説には最初のエスコーラとも言われています。名前は「言わせておけ」と言う意味。
ポルテーラの前身はいくつかあり、名前が
"Quem Fala de Nos Come Mosca"(俺らの噂をするやつはハエを食う)
"Vai Como Pode(行けるだけ行け)"
などとあり。
こういう名前、流行ってたんでしょうかね。
1935年、カーニバル出演の許可を取りに行った警察署で、Vai Como Pode (ヴァイ・コモ・ポーヂ)のメンバーは警察署長のDulcídio Gonçalvesから、名前を変えないと許可を出さないといわれたため、そのまま長い議論に突入。
そして当の警察署長が本拠地のある通り、ポルテーラ通りの名をとることを提案して、今の名前となったのだそうです。
てっきり、ポルテーラがあるからポルテーラ通りなのかと思いましたよ。
ハンショ、ブロコ、コルダォン、ソシエダーヂ
スペルはRancho, Bloco, Cordão, Sociedade。
全てエスコーラ・ヂ・サンバ以前に活動していたカーニバル期間中の娯楽団体
前のエントリー「シェゴー」で書いたとおり、Ranchoはランチョでもハンチョでもありません。
このあたりの歴史についても、いつか調べてみようと思います。
2016.09.15追記。
調べました。こちらです。
仮面の男女
ベネツィアのカーニバルの事と思います。
また、イタリア繋がりでコメディア・デラルテに関係し、後述のピエロとコロンビーヌに繋がるのだとおもいます。
ピエロとコロンビーヌ
上述のコメディア・デラルテで演じられるストックキャラクター。コロンビーヌと記載したのは、からくりサーカスの影響です。
wikipediaによれば、劇中でピエロはコロンビーヌに恋をしますが、アルレッキーノ(ハーレクイン)との争いに敗れ、最終的には彼女をあきらめるのだそうです。
アルレッキーノが群集の真ん中でコロンビーヌを想って泣く歌があるので、それも今度取り上げようと想います。
(2015.2.11追記)
てか、これ、あれですね。
その歌の引用だ。
wikipedia - Pierrot -
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Pierrot
http://m.letras.mus.br/los-hermanos/181035/
カーニバル中の路面電車→ (画像検索)
この路面電車を見ると、黒いオルフェ(仏版)を思い出します。
あ、実はですね僕はリオのカーニバルを見に行ったことがありません。
なので、当日の空気感は想像するしかないのです。
この曲については、まだちょっと調べたりない気がしているので、少しずつ追記していくつもりでおります。
カーニバル前夜ですので、ちょっと駆け足で投稿。
明日、日付変わって今日ですが、J-Wave Saude! Saudade... Carnaval 2015が開催されます。
昨年の同じイベントで活動休止してからちょうど一年。
僕は久しぶりに、観客としての参戦!
たのしみですねー。
遊びに行かれる方、また明日!
あと、3/1の昼間もあけておいてくださいませ!
ぺこ。
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2015.02.11(水) 19:03 | URL |
【編集】
え!?来週!?まじか。それは会いたいですね!
あ、あとブログ訪問ありがとう!
> なかです。久しぶりにブログ見ました!
> 来週日本に一時帰国します。
> 会いたいですね
あ、あとブログ訪問ありがとう!
> なかです。久しぶりにブログ見ました!
> 来週日本に一時帰国します。
> 会いたいですね
JT |
2015.02.12(木) 20:56 | URL |
【編集】
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来週日本に一時帰国します。
会いたいですね