2015.07.23 (Thu)
乾きを追って
つゆあけて夏きたり!
しかし今日の横浜は雨!
雨だから、雨を願う歌。
暑く、乾燥した地域をモチーフにした、Segue o Seco / セギ・オ・セーコ / Follow the Draught / 乾きを追って。
後に上げるスタジオ版のMVを見てもらうとわかってもらえるとおもうんですが、曲のイメージとしては雨乞いなのに、なぜ「乾きを追う」なんだろう?
この曲は1994年発表、マリーザ・モンチの"Verde, Anil, Amarelo, Cor-de-Rosa e Carvão" (緑、藍、黄、薔薇そして墨。邦題は "ローズ・アンド・チャコール") に収録されています。
ライブ音源が Barulhinho Bom - Uma Viagem Musical (良い雑音 - 或る音楽旅行。邦題"グレート・ノイズ")に収録。
作詞作曲はCarlinhos Brown / カルリーニョス・ブラウン。彼は
「ボンテンポはグッドタイム」で取り上げた、Chromolodia / クロモロジアの歌詞中にも登場しています。
カーリンホス・ブラウンではありません。

ライブ版とスタジオ版がありますが、僕はライブ版の方が好きだな。
広い空間に響くビリンバウの音にしびれたのでございます。
こちらはライブ版
スタジオ版の映像はこちら
ではでは、本題
-----------------------------
A boiada seca
Na enxurrada seca
A trovoada seca
Na enxada seca
干上がった濁流に
干からびた牛たち
日焼けた鍬の歯に
響く遠雷
Segue o seco sem sacar que o caminho é seco
Sem sacar que o espinho é seco
Sem sacar que seco é o Ser Sol
Sem sacar que algum espinho seco secará
E a água que sacar será um tiro seco
E secará o seu destino seca
乾きを追うのよ
道は乾いているなんていわずに
棘は鋭いなんていわずに
乾きは太陽そのものだなんていわずに
硬い棘が厄介で
井戸のポンプは空回るだけで
運命もカラカラだなんて、根拠も無いのに。
Ô chuva, vem me dizer
Se posso ir lá em cima pra derramar você
雨よ、来て、そして教えて
私がそこへ昇れば、お前を降らせる事はできるの?
Ó chuva, preste atenção
Se o povo lá de cima vive na solidão
雨よ、どうか聞いて
空の人々は、孤独に暮らしているの?
Se acabar não acostumando
Se acabar parado calado
Se acabar baixinho chorando
Se acabar meio abandonado
慣れることが出来ずに終わるの?
足をとめ、口をつぐんで終わるの?
声を殺して泣く終わりなの?
見捨てられるようにして終わるの?
Pode ser lágrimas de São Pedro
Ou talvez um grande amor chorando
Pode ser o desabotado do céu
Pode ser coco derramado
聖ペドロの涙、それとも
あの愛のお方が泣いているのかも
空の底が裂けたのかもしれない
ココの実が割れたのかも
A boiada seca
Na enxurrada seca
A trovoada seca
Na enxada seca
干上がった濁流に
干からびた牛たち
日焼けた鍬の歯に
響く遠雷
-------------------------
訳注
Seco / seca
セーコ / セーカ
乾いた。枯れた、水分のない状態をあらわす形容詞
boiada seca / ボイヤーダ セーカ = 牛の群れ、乾いた
Na / ナ = In the
enxurrada seca / エンシュハダ セーカ = 大雨(雨季)の時にだけできる濁流、乾いた
水を求めて川だったところに集まり、そこで力尽きて干からびた牛なんだろうな、と解釈しました。
Trovoada seca/ トロヴォアーダ セーカ = 雷鳴、乾いた
乾いた雷鳴。乾いた雷鳴?
辞書には、「音が響かない、乾いた、鈍い」とあるので、訳としては遠雷が響いちゃまずいんじゃないかとも思いましたが、情景重視でこっちにしました。
だらだらとした埃っぽい地平線、その線を境に不自然なぐらいに黒い空と稲光が見えて、
「ああ、あの下は雨なんだな」
と思う。そして、
「その雲こっちへ・・・」
と祈る。
そんな情景を想像しちゃったもんで、遠雷じゃないとお兄さん困るんすよ!
乾いているときのセルタォンと地平線

出典:http://viajeaqui.abril.com.br/materias/cidades-em-estado-de-emergencia-seca-nordeste-noticias
セルタォンに降る雨

出典:http://www.focadoemvoce.com/noticias/a-beleza-da-chuva-em-nosso-sertao/
Enxada seca / エンシャーダ セーカ = 鍬、乾いた
乾いたクワ??
しっとりすべすべの鍬というのも良くわかりませんが、乾いた鍬というのは、暑さで焼けてる感じなのかと思いました。
espinho é seco / エスピーニョ エ セーコ
エスピーニョは棘
エは英語で言うところの is
”棘は乾いてる"
パキパキと音のしそうなカラカラの枝と棘
「くれないの二尺のびたるばらの芽の針やわらかに春雨の降る」
とは正反対のイメージですね。
ですので、一カ所は「棘は鋭い」、もう一カ所は「硬い棘」としました。
Sacar
サカー。
googleで英語に翻訳してもらうと、Drawと出てきます。
白水社のポルトガル語辞典では、
・勢いよく取り出す、引き出す、さっと引く
・小切手を切る
・理解する
・(ブ、口語) 嘘をつく;根拠の無いことを言う、見当で言う
イメージは、「引く」
なお、いわゆる「ドン引き」した時にもこの単語を使いますが、"Você sacou!! (お前、引かれたな!)"と、能動態の形で受動的な意味を持つ珍しい動詞です。
嘘です。
ちなみに、能動態の形で受動的な意味をあらわす動詞には、Apanhar / アパニャー = 殴られる というのがあります。
本当です。
何も考えずに思いつきで物を言うのが、頭の中から適当にカードを引くみたいだから産まれた言い回しかも知れないですね。
サカー。
água que sacar será um tiro seco
água que sacar / アグア キ サカー = 引き出す水
何のことかとおもってgoogle画像検索。
結果はこちら
なるほど、水を引く→水を汲む→井戸か。
そこに tiro seco / チーロ セーコ = 空砲 が続くので「押せども押せども水の出ない井戸のポンプ」と読みました。
São Pedro
キリスト教の聖人の一人、ペトロのことですが、聖書のなかで、彼は特に雨とは関係が無いようです。
ですが天国の鍵をキリストから与えられたとされており、雨を乞う時は"雨の聖人"たる彼に祈るのがブラジルでは一般的だそうです。
参考
http://www.leiaja.com/noticias/2014/06/29/sao-pedro-o-santo-das-chuvas-e-celebrado-hoje/
また、ブラジルの土着宗教、カンドンブレにカトリックが混ざり(シンクレティズム、と言うそうです)カンドンブレの神々(オリシャ)の一人、雷神のシャンゴーと聖ペドロは同一視されているそうです。
Pode ser o desabotado do céu
Desabotado / デザボタード と言う単語が辞書にもgoogle翻訳でも引っかかって来なかったので、Desabotarという動詞があると仮定して用例を漁ってみたんですが、どうやら、Desabotoar / デザボトアー、ボタンを外すって単語の亜種のようでした。
スタジオ版のMVや歌詞中にキリスト教の世界観を感じるので、何かそれっぽいのないかなと探してみたんですが、以下のサイトにこんな事が書かれてたので
「空が裂けたのだろうか」
となりました。
くしくも、海の青と空の青は科学的にも同じ理由ですね。
Coco derramado / ココ デハマード
ココ・デ・ハマードではなく、ココ・デハマード。ナタデココではなく、ナタ・デ・ココ
coco / コーコ = ココナッツの実や、果汁、あと、カラの内側の白い部分を干して削ったの。アクセントは絶対あたま。
derramado / デハマード = 撒き散らされた
ココヤシの実を割ると、なかからさらっとした果汁がこぼれるので、それが雨を思わせるのかなと思います。
なにかそういう土地の神話みたいのがないかなと探してみたんですが、ネット検索では見つけられませんでした。
残念。
Segue o seco
Segue / セーギ = ついていく、フォローするという意味のSeguir / セギー の活用の一つ
冒頭にも書いた、なんで雨乞いなのに「乾きを追う」なのかなという話。
追うというのは線、および移動のイメージだけど、今回大事なのは、「追うためには時間的に先んじる物事が必要」だという事じゃないかなー。
生き物にとって、生まれた環境っていうのは絶対に先んじていますわね。
例えば、どう頑張っても昼と夜や季節そのものをなくす事はできない。少なくともいまのところできない。
だからそれを受け入れたり、抗ったりするわけだけど、対応していくってことはそもそも後追いだ。
乾きと離れることのできないセルタォンの暮らし。
乾きに寄り添うわけでもない、乾きを征服できるわけでもない、ただ産まれたところが乾いているから、負けてしまわないように生きている。それを指して、"Segue o Seco / 乾きを追う"
なるほどお兄さんは大納得です。
余談ですが、Seguirを白水社の辞書で引くと
後をついていく、随行する
後を追う、追跡する
見守る、目で追う
・・・を歩く、たどる
・・・の次にくる、・・・の後に続く
見習う、・・・に従う; 信奉する、・・・に身を任せる
続けて行う
発つ、行ってしまう
と、載っています。
次回の翻訳シリーズは特に決めておりません。
リクエストがあったり、思いついたりしたら書きますので、今後ともよろしゅうに。
ぺこ。
いや、そりゃあっても不思議はないんだけど、
1995年の映像。カルリーニョス、若いなぁ。
曲が始まる前にこんなことを言っています。
Ai, perdeu tempo
essa musica, Pó, nao da pra falar ne.
Eu nao vou falar muito mas eu falo
essa musica é musica muito importante porque esses parceiros nós temos aqui, né, dentro do brasil tem demostrado que é musica brasileira não era musica do regiões mas é musica do brasil. né.
E Marisa Monte deu, interpretou a canção e,,, é uma coisa, sim, muito praserosa.
え、時間無いの?
この曲は、ちぇ、そんなにたくさんは話せないけど、でも話す。
この曲はとても大事な曲なんだ。この場に来てる仲間たちが、な、ブラジルにいる仲間たちが「ブラジル音楽」っていうのはブラジルの地域それぞれの音楽なんじゃなくて、ブラジルの音楽だってことを証明してきたんだ。
それで、マリーザ・モンチが、曲を自分のものにしてくれた。それは、とても・・・うん、とてもうれしいことなんだ。
しかし、とんがった衣装だなー。
95年の映像の最後のほうで
"Boi, boiada, boida (牛、牛たち、牛たち)" と繰り返しているのを聴くと、干からびた牛たちは、生きているって解釈すべきだったかなとも思った。
何にせよ、もう寝ようかと思ってたのに、思わぬ発見があったよ。
しかし今日の横浜は雨!
雨だから、雨を願う歌。
暑く、乾燥した地域をモチーフにした、Segue o Seco / セギ・オ・セーコ / Follow the Draught / 乾きを追って。
後に上げるスタジオ版のMVを見てもらうとわかってもらえるとおもうんですが、曲のイメージとしては雨乞いなのに、なぜ「乾きを追う」なんだろう?
この曲は1994年発表、マリーザ・モンチの"Verde, Anil, Amarelo, Cor-de-Rosa e Carvão" (緑、藍、黄、薔薇そして墨。邦題は "ローズ・アンド・チャコール") に収録されています。
ライブ音源が Barulhinho Bom - Uma Viagem Musical (良い雑音 - 或る音楽旅行。邦題"グレート・ノイズ")に収録。
作詞作曲はCarlinhos Brown / カルリーニョス・ブラウン。彼は
「ボンテンポはグッドタイム」で取り上げた、Chromolodia / クロモロジアの歌詞中にも登場しています。
カーリンホス・ブラウンではありません。

ライブ版とスタジオ版がありますが、僕はライブ版の方が好きだな。
広い空間に響くビリンバウの音にしびれたのでございます。
こちらはライブ版
スタジオ版の映像はこちら
ではでは、本題
-----------------------------
A boiada seca
Na enxurrada seca
A trovoada seca
Na enxada seca
干上がった濁流に
干からびた牛たち
日焼けた鍬の歯に
響く遠雷
Segue o seco sem sacar que o caminho é seco
Sem sacar que o espinho é seco
Sem sacar que seco é o Ser Sol
Sem sacar que algum espinho seco secará
E a água que sacar será um tiro seco
E secará o seu destino seca
乾きを追うのよ
道は乾いているなんていわずに
棘は鋭いなんていわずに
乾きは太陽そのものだなんていわずに
硬い棘が厄介で
井戸のポンプは空回るだけで
運命もカラカラだなんて、根拠も無いのに。
Ô chuva, vem me dizer
Se posso ir lá em cima pra derramar você
雨よ、来て、そして教えて
私がそこへ昇れば、お前を降らせる事はできるの?
Ó chuva, preste atenção
Se o povo lá de cima vive na solidão
雨よ、どうか聞いて
空の人々は、孤独に暮らしているの?
Se acabar não acostumando
Se acabar parado calado
Se acabar baixinho chorando
Se acabar meio abandonado
慣れることが出来ずに終わるの?
足をとめ、口をつぐんで終わるの?
声を殺して泣く終わりなの?
見捨てられるようにして終わるの?
Pode ser lágrimas de São Pedro
Ou talvez um grande amor chorando
Pode ser o desabotado do céu
Pode ser coco derramado
聖ペドロの涙、それとも
あの愛のお方が泣いているのかも
空の底が裂けたのかもしれない
ココの実が割れたのかも
A boiada seca
Na enxurrada seca
A trovoada seca
Na enxada seca
干上がった濁流に
干からびた牛たち
日焼けた鍬の歯に
響く遠雷
-------------------------
訳注
Seco / seca
セーコ / セーカ
乾いた。枯れた、水分のない状態をあらわす形容詞
boiada seca / ボイヤーダ セーカ = 牛の群れ、乾いた
Na / ナ = In the
enxurrada seca / エンシュハダ セーカ = 大雨(雨季)の時にだけできる濁流、乾いた
水を求めて川だったところに集まり、そこで力尽きて干からびた牛なんだろうな、と解釈しました。
Trovoada seca/ トロヴォアーダ セーカ = 雷鳴、乾いた
乾いた雷鳴。乾いた雷鳴?
辞書には、「音が響かない、乾いた、鈍い」とあるので、訳としては遠雷が響いちゃまずいんじゃないかとも思いましたが、情景重視でこっちにしました。
だらだらとした埃っぽい地平線、その線を境に不自然なぐらいに黒い空と稲光が見えて、
「ああ、あの下は雨なんだな」
と思う。そして、
「その雲こっちへ・・・」
と祈る。
そんな情景を想像しちゃったもんで、遠雷じゃないとお兄さん困るんすよ!
乾いているときのセルタォンと地平線

出典:http://viajeaqui.abril.com.br/materias/cidades-em-estado-de-emergencia-seca-nordeste-noticias
セルタォンに降る雨

出典:http://www.focadoemvoce.com/noticias/a-beleza-da-chuva-em-nosso-sertao/
Enxada seca / エンシャーダ セーカ = 鍬、乾いた
乾いたクワ??
しっとりすべすべの鍬というのも良くわかりませんが、乾いた鍬というのは、暑さで焼けてる感じなのかと思いました。
espinho é seco / エスピーニョ エ セーコ
エスピーニョは棘
エは英語で言うところの is
”棘は乾いてる"
パキパキと音のしそうなカラカラの枝と棘
「くれないの二尺のびたるばらの芽の針やわらかに春雨の降る」
とは正反対のイメージですね。
ですので、一カ所は「棘は鋭い」、もう一カ所は「硬い棘」としました。
Sacar
サカー。
googleで英語に翻訳してもらうと、Drawと出てきます。
白水社のポルトガル語辞典では、
・勢いよく取り出す、引き出す、さっと引く
・小切手を切る
・理解する
・(ブ、口語) 嘘をつく;根拠の無いことを言う、見当で言う
イメージは、「引く」
なお、いわゆる「ドン引き」した時にもこの単語を使いますが、"Você sacou!! (お前、引かれたな!)"と、能動態の形で受動的な意味を持つ珍しい動詞です。
嘘です。
ちなみに、能動態の形で受動的な意味をあらわす動詞には、Apanhar / アパニャー = 殴られる というのがあります。
本当です。
何も考えずに思いつきで物を言うのが、頭の中から適当にカードを引くみたいだから産まれた言い回しかも知れないですね。
サカー。
água que sacar será um tiro seco
água que sacar / アグア キ サカー = 引き出す水
何のことかとおもってgoogle画像検索。
結果はこちら
なるほど、水を引く→水を汲む→井戸か。
そこに tiro seco / チーロ セーコ = 空砲 が続くので「押せども押せども水の出ない井戸のポンプ」と読みました。
São Pedro
キリスト教の聖人の一人、ペトロのことですが、聖書のなかで、彼は特に雨とは関係が無いようです。
ですが天国の鍵をキリストから与えられたとされており、雨を乞う時は"雨の聖人"たる彼に祈るのがブラジルでは一般的だそうです。
参考
http://www.leiaja.com/noticias/2014/06/29/sao-pedro-o-santo-das-chuvas-e-celebrado-hoje/
また、ブラジルの土着宗教、カンドンブレにカトリックが混ざり(シンクレティズム、と言うそうです)カンドンブレの神々(オリシャ)の一人、雷神のシャンゴーと聖ペドロは同一視されているそうです。
Pode ser o desabotado do céu
Desabotado / デザボタード と言う単語が辞書にもgoogle翻訳でも引っかかって来なかったので、Desabotarという動詞があると仮定して用例を漁ってみたんですが、どうやら、Desabotoar / デザボトアー、ボタンを外すって単語の亜種のようでした。
スタジオ版のMVや歌詞中にキリスト教の世界観を感じるので、何かそれっぽいのないかなと探してみたんですが、以下のサイトにこんな事が書かれてたので
"創世記7章11節bには「深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。」とあり、天界にたたえられた水が天にあけられた穴から流れ出るのが雨だというのである。"
出典http://www.nskk.org/chubu/qanda/arekore/19.html
「空が裂けたのだろうか」
となりました。
くしくも、海の青と空の青は科学的にも同じ理由ですね。
Coco derramado / ココ デハマード
ココ・デ・ハマードではなく、ココ・デハマード。ナタデココではなく、ナタ・デ・ココ
coco / コーコ = ココナッツの実や、果汁、あと、カラの内側の白い部分を干して削ったの。アクセントは絶対あたま。
derramado / デハマード = 撒き散らされた
ココヤシの実を割ると、なかからさらっとした果汁がこぼれるので、それが雨を思わせるのかなと思います。
なにかそういう土地の神話みたいのがないかなと探してみたんですが、ネット検索では見つけられませんでした。
残念。
Segue o seco
Segue / セーギ = ついていく、フォローするという意味のSeguir / セギー の活用の一つ
冒頭にも書いた、なんで雨乞いなのに「乾きを追う」なのかなという話。
追うというのは線、および移動のイメージだけど、今回大事なのは、「追うためには時間的に先んじる物事が必要」だという事じゃないかなー。
生き物にとって、生まれた環境っていうのは絶対に先んじていますわね。
例えば、どう頑張っても昼と夜や季節そのものをなくす事はできない。少なくともいまのところできない。
だからそれを受け入れたり、抗ったりするわけだけど、対応していくってことはそもそも後追いだ。
乾きと離れることのできないセルタォンの暮らし。
乾きに寄り添うわけでもない、乾きを征服できるわけでもない、ただ産まれたところが乾いているから、負けてしまわないように生きている。それを指して、"Segue o Seco / 乾きを追う"
なるほどお兄さんは大納得です。
余談ですが、Seguirを白水社の辞書で引くと
後をついていく、随行する
後を追う、追跡する
見守る、目で追う
・・・を歩く、たどる
・・・の次にくる、・・・の後に続く
見習う、・・・に従う; 信奉する、・・・に身を任せる
続けて行う
発つ、行ってしまう
と、載っています。
次回の翻訳シリーズは特に決めておりません。
リクエストがあったり、思いついたりしたら書きますので、今後ともよろしゅうに。
ぺこ。
【More・・・】
カルリーニョス・ブラウンが歌っている映像ありました。いや、そりゃあっても不思議はないんだけど、
1995年の映像。カルリーニョス、若いなぁ。
曲が始まる前にこんなことを言っています。
Ai, perdeu tempo
essa musica, Pó, nao da pra falar ne.
Eu nao vou falar muito mas eu falo
essa musica é musica muito importante porque esses parceiros nós temos aqui, né, dentro do brasil tem demostrado que é musica brasileira não era musica do regiões mas é musica do brasil. né.
E Marisa Monte deu, interpretou a canção e,,, é uma coisa, sim, muito praserosa.
え、時間無いの?
この曲は、ちぇ、そんなにたくさんは話せないけど、でも話す。
この曲はとても大事な曲なんだ。この場に来てる仲間たちが、な、ブラジルにいる仲間たちが「ブラジル音楽」っていうのはブラジルの地域それぞれの音楽なんじゃなくて、ブラジルの音楽だってことを証明してきたんだ。
それで、マリーザ・モンチが、曲を自分のものにしてくれた。それは、とても・・・うん、とてもうれしいことなんだ。
しかし、とんがった衣装だなー。
95年の映像の最後のほうで
"Boi, boiada, boida (牛、牛たち、牛たち)" と繰り返しているのを聴くと、干からびた牛たちは、生きているって解釈すべきだったかなとも思った。
何にせよ、もう寝ようかと思ってたのに、思わぬ発見があったよ。
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